
1578年に16歳で細川忠興に嫁いだ玉は、1580年に宮津へ入りました。
翌年の1581年に父・光秀が宮津を訪れたのが、父娘の最後の別れになったそうです。
1582年に光秀が本能寺の変を起こして亡くなり、その後本能寺に晒された光秀の首が、娘である玉の元に届けられ供養されたと伝えられているそうです。
文章は、宮津まちなか観光推進協議会発行の、「宮津―名勝天橋立を望む城下町―」を参考にさせていただきました。
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